美しく朽ちた廃駅の車両
北海道に撮影旅行に出掛けるようになったきっかけは、夕張という町だ。
炭鉱や歴史にそれほど興味はなかったが、
アメリカ西部のゴーストタウンのような寂れた美しさを、勝手に想像して憧れていたのかもしれない。
空知という広い地域はかつて炭鉱で栄えたが、
その中でもシンボル的な存在の夕張には、ひっそりと時を刻む小さな町や施設がいくつもあった。
自分勝手な想像はあながち外れているわけではなかった。
初めて訪ねたのは1990年頃。三菱南大夕張炭鉱はすでに閉山になっていた。
報道写真で知ってはいたが、時代に翻弄(ほんろう)された暗い町と言う印象ではなく、
優しい時間が流れ、風化することの美しさと、自然や季節の移り変わりを受け入れる、素直な生活を感じることができた。
こぢんまりとした住宅の周りには、夏なら必ずきれいな花が植えられていて、「ここには人が住んでいるのだな」と気付く。
冬であれば、煙突から出る煙に生活の気配を感じていた。
小さな町を点々と巡りながら、美しいものを見つけては何日か滞在して撮影する。
その頃、特に長い時間を過ごしたのが、南大夕張駅の跡に放置されていた古い客車だ。
内部は木製で、焼けたニスの色、明るい色の天井やすり減った真ちゅうの金具、調度品などもすばらしく、
1両の客車の中で、何日撮影しても必ず新しい被写体を見つけることができた。
写真を専門的に志すようになってからは、普通に美しいと思うものをストレートに撮るという、
何か照れ臭くてできなかったことを、この1枚、この空間が可能にしてくれたように感じる。
この写真を撮影した98年1月当時、車両はまったくの放置状態で痛みが激しく、傾き倒壊してしまいそうな状況だった。
現在は近代化産業遺産として、保存、修復が行われ、駅を含めた公園に指定されているようだ。
この車両の価値が理解され、多くの人の目にとどまるようになったことはとても喜ばしい。
近年はブルーシートにくるまれて、冬の厳しい気候をしのいでいるのを見ると暖かい気持ちになる。
ただ、この写真を撮影した頃の、剥がれてゆくペンキや、割れたガラス、
車内に吹き込んだ雪の白さなどは、もう撮影できないと思うと少し寂しい。